第2章、コロナ禍でのミラ監督体制2年目
はじめに
第1章を最後まで読んでくださった方ありがとうございます。
Twitterなどで反応をいただいた皆さんありがとうございます。
ミラ監督への愛情がコメントからも伝わってきました。
それでは2年目のシーズンについて語ります。
まだ第1章を読んでいない方はコチラ↓
目次
楽しみを奪った新型コロナウィルス
緊急事態宣言
2020年4月、緊急事態宣言の発令に伴いクラブとしての活動がストップした。
僕たち選手には「自宅で今できることを」というメニューが届いた。
異国の地でミラはとても怖がっていた。
家族が近くにいない上、帰ることができない怖さは海外に挑戦したことのある侑人が語っていた。
「想像しているより本当に孤独に感じる。でも俺は日本に帰りたいなんて思ったことはないけどね。オマーンに行った時、暑さ50℃で前半でバテた。それでもまだしばらくの間、wifiもないエアコンの効かないホテルに閉じ込められた時は帰りたいと思ったね。」
やっぱり帰りたかったんや。
孤独との闘いが辛い印象を受けた。
ミラはマスクとCELA水を大切に持ってくれていた。
撮影は2020年3月12日。マスクをつけることが習慣になる直前の写真。
事務所での日々
4月からは練習も中断し、それぞれの仕事もお休みになった。
このグリーンタウンと呼ばれる鈴鹿ポイントゲッターズの事務所兼、フットサルコートも例外ではなかった。
フットサルコートは休業し、コーチである侑人や浩平は仕事がなくなった。
そんな時、CELA水を一緒に鈴鹿市、四日市市、津市、菰野町、奈良県、大阪府に寄付するのに3人はコロナに気をつけながら事務所での作業を続けた。
だからミラ監督とはグリーンタウンで顔を合わすことはあったが、事務所でもコロナをとても警戒している様子だった
そしてこのフットサルコートでそれぞれ時間をずらし、個人で練習する期間が続いた。
迎えた4月23日、ミラ監督の誕生日に選手からメッセージを送った。
確かこの頃、選手会副会長の力哉を中心にインスタライブ(ポゲライブ)をたくさん開催してて、ミラ監督とのインスタライブで見せたんやったっけな?(曖昧www)
2020年はハーフシーズン
2020年のJFLは半分の15試合でシーズンを開催することになった。
新加入選手はファンの前で姿を見せることも難しく、サポーターのチャントも聞くことができていなかった。
というか「鈴鹿ポイントゲッターズ」に改名したので僕ら既存の選手も新しいチャントは聞けていなかった。
ミラのサッカーは昨年に引き続き、ゲームをコントロールすることや相手を見て判断することが求められた。
型に選手をはめるのではなく、選手たちの判断で型を試合ごとに作っていく。
そんなイメージだった。
だから前の週活躍した選手でも、次の対戦相手にフィットするだろう選手が代わりに出場することもあった。
この年も多くの選手が試合に出場した。
寿司職人ミラ
この年から胸スポンサーがスパイラルネットになった。
レンタカー事業を中心とする企業でこの「すし海心」さんもスパイラルネットのお店だった。
そこでミラ監督と選手の大輝が握り寿司対決を行った。
ミラはこの日本ならではの体験にとてもウキウキしていた。
そしてミラが勝利した。
手捌きはさすが女性といったところを魅せた。
日本男児代表の大輝はJapan prideを打ち砕かれた。
ミラへの歌のメッセージ
2020年最終節、アウェーソニー仙台戦。
試合には敗れてしまったものの、ミラ監督は日本での2年目を5位と躍進しシーズンを終えた。
すぐにスペインに帰ることになっていたミラ監督。
選手たちからは5位に引き上げてくれたミラ監督への感謝と、「来年も一緒に闘いたい」」というメッセージを込めて歌のプレゼントをした。
言語が違い、普段は通訳のテツさんがいないとミラとは話せない。
でもこの時の気持ちを伝えるのには、これだけで十分だった。
でもテツさん、こん時何してたんやろ?笑
次回最終章2021年
試合前日ミラはいろんなレクレーションで僕たちを楽しませてくれた。
サッカーも人生も楽しむことを忘れないミラ。
その練習をTwitterのリンクでご紹介。
次のエピソードが最後になります。
第2章もここまで読んでいただいてありがとうございます。
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