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第1章 ミラ監督退任、スペインから来た陽気な女性

2019年ミラとの1年目

ミラとの出会い

2019年1月 鈴鹿の練習参加に行くことになり、鈴鹿で初めてミラと出会った。

プレーを見てくれたミラは、所属先が決まらず苦しい時期が続いている僕ににポジティブな声をかけてくれた。

なんて言われたかはあんまり覚えてないけど。笑

そして3日間の練習でミラに認められ現在監督代行の小澤TDより電話をもらい、鈴鹿に加入することになった。

「監督が女性って初めてやけど大丈夫なんか?」

それが正直な感想。

「お嬢様聖水サワー」ジャージとミラとのコラボはツッコミどころが多すぎるな。笑

通訳はテツさん

そしてミラだけが監督として来日し、通訳はまだ決まっていなかった。

僕が練習参加した時も違う通訳の方だった。

そして記事にも上がっている通り、自ら電話し通訳初挑戦のテツさんも就任することが決まった。

ミラとテツさんの二人三脚が始まった。

写真はミラとテツさんと僕、3人のフロントスタッフ歓迎会やった。

もともと4人しかいなかったから4人がご馳走してくれた。

あ、ジズー(元フランス代表ジダンの愛称)と呼ばれている雲林院さんも入れたら5人やったか。

左から、小林(現ブラウブリッツ秋田スタッフ)、吉田社長、ひぐとドゥーさんのアカデミーコーチの2人

今考えると少なすぎるスタッフの少数精鋭で魔の地決を勝ち上がってきたんやな。と驚く。笑

クセスゴなスタッフ陣

そこに2人のコーチの加入が発表された。

岡山一成コーチ(オカさん)とラファ。

ラファは右向きと左向き両方が必要なラダーでも片方しかやってくれない、クセスゴなトレーナー。

左右差出て身体気持ち悪かった〜

オカさんはエンターテイナー。

ミラと真逆のことを大声で言うこともあったけど、オカさんなりの方法でどんどんミラとの信頼関係を深めていった。

さすが師匠。

オカさんとミラの会話は太陽と太陽のぶつかり合いみたいに熱々やった。

それを涼しい顔で通訳してたテツさん。

今思うとほんますごい。

女性だけの個サル、なでしこサル

司くんと共に開催していたフットサルコートのイベント、なでしこサル

通常の個サルとは違い女性だけが参加できる。

ミラは選手としてもプレーしていた経験から女性プレーヤーを特別気にかけてくれてた。

最後は司くんと男子2人対女子全員という試合形式をしていた。

徐々に上手くなっていく女子チームに負けることもしばしば。

実際は女子からのプレッシャーにも負けてたかも。笑

選手との距離感

練習中や試合中は叫んでることが多いミラ

でも練習が終わると冗談が好きで陽気なミラ。

たぶんアメリカンコメディ的なTV番組を見て育ったタイプやと思う。

知らんけど。

「スペインではピチピチの服着ちゃうんだから」

みたいに絶妙に笑っていいのか迷う冗談を放り込んできてた。

でも更衣室がない日の練習で

力哉が「ここで着替えちゃおっかなー」みたいな冗談を言った時は

「私本当に興味ない。」

ってサーーーーッとその場を離れたこともあった。

それ以降、下ネタ的な笑いはミラにはNGなんやなって心に誓った。

あれは今思えば力哉のことが嫌いなだけやったかもせーへん。

 

ミラのサッカー

降格争い

2019年、JFL1年目の鈴鹿、日本1年目のミラのサッカーはというとめっちゃ苦労した。

降格争いに位置してた。

ミラは日本の選手の技術をめっちゃ褒めてた。

スペイン人と似てる部分があるって。

でも大きくて決定的な違いがあるって言ってた。

それは「戦術理解度」

U-6,U-8などアカデミーから組織で動くことを指導されているスペインでは、大人になってもしみついてる動きや連動性がある。

要はもう大人になる頃にはディフェンスもオフェンスもある程度自動化されてる。

日本の技術ではすぐに理想とするスタイルを追い求められると最初は思ったけど

戦術を落とし込むのに時間が必要だと判断したそう。

だからシーズン序盤は後ろから徹底的に繋いでいたのに対して、後半戦は縦に速いサッカーも取り入れた。

途中でこのJFLというリーグの特性にもシフトしたと話していた。

そして降格争い同士の直接対決に見事勝利し、残留することができた。

コミュニケーション

ミラは直接コミュニケーションをとってくれる監督。

勝てない時期が続いた時、選手ミーティングをして意見をミラに持っていったこともあった。

そんな話にもまずは耳を傾けてくれた。

試合に出れない理由を聞きに行ったこともあった。

「こことここはとても良い。だから続けてほしい。」

いや良いんかい!

でも出られへんのかい。

そんなもどかしさを感じる時もあったけど、本気でミラは全員の力を信じてくれてた。

多くの選手が出場する監督やったと思う。

写真はアウェーでの流経大ドラゴンズとの降格争い、直接対決を制した夜。

後泊だったのでみんなでホテルの下の居酒屋さんに集まった時。

ミラごちそうさま。

異国の地での挑戦を支えたサポーター

この日はJFLの門番、HondaFCとの試合後、試合の解説を行なった。

勝ったからよかったけど、負けてたら地獄の解説になるところやった。

ミラは到着したその日から迎えてくれるサポーターのことが大好きやった。

アウェーに駆けつけてくれたサポーターにはスタンドまで行って感謝を伝えることもあったほど。

そしてサポーターもまたスペイン語で横断幕を掲載したりとミラに対しての愛情は大きかった。

もちろんスポンサー営業に行っても、必ずミラ監督の話になる。

女性社長や女性サポーター、女性フロントスタッフ。

男社会が強い男子サッカークラブにおいて、日本の女性はミラにとってすごく身近に感じられたと思う。

そして全てのサポーターやスポンサーがミラの心の支えになっていたのは近くで見ていて感じた。

スペインから来たミラの友達

2019年はまだコロナ前。スペインからお友達が訪れたことがあった。

え〜っと〜名前は確か〜

zumaicaTシャツも買ってくれた〜2人の名前は〜

あかん。思い出されへん。名前覚えるの超がつくほど苦手。(言い訳)

サッカーをやってた2人やったと思う。

きっと国を越える移動がもっとスムーズなら今のミラの心を支える友達や家族にもっと会うことができたのになって思う。

ミラが在籍した2年半の内1年半はコロナ禍やったもんな。

第1章まとめ

それでもこの年、降格争いから立て直し

得点王のリンタロウを含む攻撃的で自由なサッカーは見てる人を魅了した。

ミラのサッカーが、女性監督率いる男子チームが、日本で成功することを証明して見せた。

シーズン終了後、OFF期間に入ると同時にミラ監督は練習も休みにした。

この期間は練習生などを受け入れすることが多くクリスマス前まで練習するチームもある。

でもミラは12月の上旬からOFFにした。

選手たちは休みの長さに戸惑いと喜びを隠せずにいた。

そして来年は1月20日ぐらいまでOFFだと言い残しスペインに帰った。

約1ヶ月半のOFF。

自分で事業をしている僕はこの期間に1年分の生活費稼ぐぞー!と意気込み、体作りと仕事に熱中した。

ミラ…めっちゃOFFくれてありがとう。10年の選手生活の中でも最もOFFの多い1年やった。

第二章コロナ禍での2020年に続く…

 

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