最終章ミラとの別れ
2021年シーズン開幕
開幕からのスタートは順調だった。
7節を終えて5勝1分1敗。
昇格圏内に位置し、順調な開幕スタートダッシュを切ったかに思えた。
楽しいことが大好きなミラ。
選手の子どもは自分の子のように優しく接してくれた。
出産した選手のゆりかごもみんなでお祝いした。
選手だけでなくミラも一緒になって参加した。
今シーズンのユニホーム「ポゲ」の「ポ」がデザインされた。
フロントスタッフの竹尾さんと仲良くホームユニホームのお披露目。
3年目のシーズン。
ミラはJFLで通算50試合の指揮を取ったことが表彰された。
日本で初めての女性監督。その挑戦は遂に50試合を越えていた。
いろんなタイプの監督と出会ってきた。
父のように厳格で厳しい人もいる。
今回新監督として就任した三浦泰年監督はまさにこのような監督。
でもミラはどちらかというとフレンドリーな監督。
海外では監督との食事も普通だそう。
インスタグラムのコメント欄にも現れたりする。
こういった写真も選手だけでなくミラも一緒だった。
テツさんは「俺はいいよ」となかなか撮らせてもらえなかった。笑
ミラが伝えた言葉
ミラは優しかった。
そして誰よりも選手の力を信じていたので
「この選手の力で100%の実力が出せれば負けることはない」
いつもそう僕らを信じていてくれていた。
でもなかなか歯車が合わず4/24を最後に鈴鹿は勝てない日々が続いた。
2ヶ月も。
僕が見ても他のクラブの選手たちに鈴鹿の選手が劣っているわけではない。
でもなかなか歯車が合わない試合が続いた。
そんなある日ミラは言った。
「こんな時3つの方法がある
監督が代わるか
選手が全員変わるか
もう一度団結してプレーするか」
ミラも選手たちも3つ目の方法を取ることに決めた。
闘うことが必要だった。
それでも状況は変わらなかった。
ミラはもう一度僕らに話をした。
「次の試合で負ければ私は日本を去ることに決めた」
ここにいてる選手たちが100%出せれば必ず勝てる
でも今の状況を打開し、目標を達成するためには残りの時間も考えなければならない。
ミラは自分のことよりもチームの昇格のために考えた末に僕らに話をした。
選手たちはミラの進退がかかった試合で闘う姿勢を示した。
ミラの信じた選手たちは鬼気迫る表情を見せた。
でも試合には負けてしまった。
試合後選手たちもなかなか着替えを始めない。
ユニホームのまま座り込んでいた。
ミラ監督からのミーティングも始まらない。
慌ただしいスタッフ陣。
次の試合に備えてダウンやベンチメンバーのトレーニングが行われている。
でもいつもと雰囲気は全く違った。
そして、ミラ監督からミーティングが行われ、退任が伝えられた。
自分たちを責めた。
ミラの挑戦を止めてしまった責任、自分のプレー、試合が1人の人生を左右する。
ミラからは選手たちへの感謝が伝えられた。
誰よりも愛されていたミラ監督
後日、改めてミラ監督から練習後に挨拶が行われた。
そして選手たちと写真を撮る。
サポーターの方も帰国前に会う時間が設けられた。
惜しみないサポーターの声。
この様子は動画にまとめたので最下部に載せておく。
最後に
ミラをJリーグ初の女性監督にすることはできなかった。
でもこの惜しみない言葉の数々はミラの日本挑戦にとって大きな意味を持つと思う。
そしてまたいずれ今度は遊びに日本に帰ってきてほしい。
そう思わせてくれるほどフレンドリーで楽しいことが大好きなイタズラ好きな女性だった。
その時はテツさんも一緒に来てくれないと話ができない。
リーグ戦はその最中にも続き、ミラ監督がスペインに向かう飛行機に乗っている間にも試合は行われていた。
ミラは選手たちとクラブが再出発するための決断をした。
1週間、司くんこと小澤テクニカルディレクターが暫定監督を務め準備を行なった。
そして、9試合ぶり2ヶ月ぶりに勝利を収めることができた。
小澤暫定監督は2試合の指揮を取り、新監督には三浦泰年監督が就任した。
三重県初のJリーグクラブに向け後半戦の巻き返しを図る。
僕たちのプレーは1人の人生を左右する。
そして見に来てくれている人々にもそれは起こる。
たった1試合で大きく落胆させることもある。
逆にたった1つのプレー、勝利でも見に来た方の人生を左右することもある。
そして三重県にJリーグクラブが誕生すれば三重県の子どもたちの人生をも左右する。
その責任を背負い、そのプレッシャーに打ち勝ち
1試合1試合を大切に楽しめたクラブが昇格する。
僕たち鈴鹿ポイントゲッターズも全員で残りのシーズンを全力で闘い目標を達成します。
個を磨き、チームとして1つになり、中断期間に強くなって帰ってきます。
ミラ、テツさん、必ず良い報告するね。
改めてミラ監督、テツさん2年半お疲れ様でした。
ありがとう。
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