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中村 侑人 Yuto Nakamura
age 28
海外挑戦からの逆輸入。コミュニケーションお化け。
- 和馬から侑人の紹介
- 1991.11.15 広島県産まれ東京都育ち
お姉ちゃんが一人。
プロレスの人形で遊ぶのはやめなさいってお母さんからはよく言われていた侑人。
専修大学では関東リーグ4連覇を達成する。
2.5回分に貢献したと自負。
卒業後JFLヴァンラーレ八戸に加入。
バルセロナに加入すると無謀な決意をし、スパイクと練習着、サッカーボールを片手に単身スペインに渡航。
メッシとはチームメイトになれなかったものの、ドイツの代理人を通じてドイツのKFC(ドイツ5部)に移籍。
元カメルーン代表のイドリスとチームメイトになる。
イドリスの好きな食べ物はガソリンスタンドのアイスクリーム
オーストリア、アルバニア、オマーンに挑戦し、今季満を持して日本に逆輸入。
高校生や大学生、社会人選手の海外挑戦をサポートする事業を持つ、コミュニケーション能力の高さと相手からのボール奪取が持ち味。
笑顔で手伝ってくれる優しい侑人に聞いてみた。 - サッカーの魅力
- 相手を潰すことを認められたスポーツ。
守備で綺麗にボールを奪えた時が楽しい。
国連加盟国よりもFIFA加盟国の方が多いんですよ。つまり、サッカーは世界の平和解決に繋がるんじゃないかと思ってます。 - ここまでのサッカー人生の歩みが面白いので少し深ぼらせてください。
- 八戸でオーバートレーニング症候群になりました。強くなりたいと思い、海外に挑戦しました。
その当時世界一だったバルセロナに挑戦したかったのでカンプノウに行きましたが、練習場所は違ったので練習にすら参加できませんでした。
練習場所もなくビザも降りず、バイト先もないスペインに2ヶ月滞在し、スペインでの生活が追い込まれていました。
ドイツにはプレーしている友人がいたので、ドイツに渡ることを決意しました。ドイツの1日目はまずドイツビールを飲みました。 - それでドイツに渡ったんですね。ドイツでは練習参加できたのですか。
- 代理人と共に練習を見に行きました。
マックでコーラを買ってから。
コーラはMを頼んだんですが、めっちゃ大きかったですね。
日本でゆうXLですね。XLとかあるのかな。
チームのスカウト部長が「明日から来る?」って声をかけてくれました。
3週間練習参加して、練習試合でヘディングでゴールしました。お辞儀パフォーマンスがハマりチームに加入することになりました。
KFCでは毎日練習前にコーヒーを飲んでました。
いつの日か気づいたら看板が立っていて「Cafe Yuto」って書いてありました。
店ができちゃったんですね。 - ドイツには3年いたんですね。
- KFCで半年プレーして、鎖骨を骨折しました。
ドイツでは痛いところと違う部分をめっちゃ触られてました。
「そこじゃないのに」と思ってたんですけど、伝えられなくて。
でも「あーそこそこ」って言ってました。
骨折する前にSCウエスト(ドイツ5部)の監督が僕のプレーを見ていたことがあってオファーをくれました。
ウエストとKFCのフロントが話し合ってくれてたんですね。
KFCのスカウト部長がめっちゃいい人だったんですよ。
いまだに僕のことをヨートって呼んでますけど。
SCウエストで2年半プレーしました。 - そのあと一度日本に帰ってきたんですよね。
- プレーにも自身がついて日本に帰ってきました。
Jリーグの全チームに手紙を書いて練習参加の申し込みをしました。
唯一、京都サンガだけが手紙を呼んで4日間練習参加を受け入れてくれました。
リカバリーばっかりでしたけど、受け入れてくれた、強化部長のコジマさんには本当に感謝してます。
ミーティングで自己紹介した時に
闘莉王さんが「ナカムラ?ナカムラって俊輔しか知らないよ」って言ってました。 - 日本の厳しさを味わい、次の国にチャレンジするんですよね?
- 京都は加入できず、代理人からオーストリアの話をもらいました。
練習参加の1ヶ月前に腓骨を骨折し全治3ヶ月の怪我をしてしまいました。
出発前日に痛み止めの注射を売って出発しました。
飛行機の移動が18時間でした。
気圧により足がめっちゃ腫れてましたね。笑
1週間の練習参加の許可をもらってたんですけど、怪我をしていたので、2日にしてくれとお願いしました。
その2日でアピールして決めるしかない。
3日は持たないと思ったので。
チームメイトには黙ってましたが、セラピストには伝えました。
オーマイガーって言ってました。笑
ウォーミングアップでチーム一の得点数5ゴールあげました。
足が痛くてゴール前から動けなかっただけなんですけどね。
あいつはFWなのか?って言われてました。
紅白戦では右サイドハーフで出場しました。
本職はCBか右サイドバックなのに。
足が痛すぎてボール来るなって思ってました。
その分一発にかけてました。
FKのチャンスが来たらそれを蹴るって決めてました。
そしたら入ったんですね。
普段FKなんて蹴らないのに。笑
最後にCKもいいボールを蹴って無事に終了したと思ったらその日の最後に少しフィジカルトレーニングがありました。
ジャンプの着地で骨折していた部分に激痛が走りました。
そして翌日はもう厳しいと代理人にも伝えましたが、1日では判断できないと言われ、次の日も激痛に耐えました。
2日間の練習後、クラブハウスのカフェで監督と飲みました。
その後ホテルまで送ってもらい、ホテルでも飲みました。
監督と仲良くなっちゃいましたね。
ドイツ語のコミュニケーション能力が活きました。
合格し、1月から合流予定だったのですがビザが降りず、アルバニアの練習参加を代理人から紹介してもらいました。 - インタビュー長すぎるので動画にしてもいいですか。
- ダメだよ。
もっと話したいよ。
アルバニアでは空港についてタクシーを探していたら、変な二人組に車に乗せられました。
もう殺されちゃうな。
って死が頭をよぎりました。
そしたら途中でカフェに寄ってカプチーノを奢ってもらいました。その時に、「いいやつかも」と安心しました。
クラブには合格したんですけど、ヨーロッパ最貧国での生活の実情はかなり厳しくて、宿泊施設などもとっても汚くてここでは生活できないと思い、お断りさせてもらいました。
最貧国に行き、貧しい人たちを救うにはお金が必要だと感じオイルマネーで稼ぐぞと決意しオマーンに行くことにしました。 - オマーンですか
- オイルマネー目当てだったんですけど、オマーンのサッカー選手としての給料がそこまでだったんですね。
準備不足、調査不足でした。
オマーン出発の1時間前に枠が埋まったからチームには入れないと連絡がありました。
それでも行き、ボランチならと練習参加しました。
凸凹道を3時間タクシーに乗り、1週間練習参加しました。
アルバニアよりもひどい環境で北斗の拳の世界みたいで気温は50℃ありました。
4日目まで順調だったんですが、最終日の練習試合で前半20分で完全にバテました。
50℃でのプレー環境は恐ろしかったですね。
そこで不合格になってしまい、残りの1週間をネット環境の無いホテルで過ごしました。
冷房も壊れました。
そして日本に帰国し、昨年の冬にこのクラブと契約しました。 - 6年ぶりに日本に帰って来ました。
日本はどうですか - 日本は豊かで平和で何1つ不自由がありません。
だからこそハングリーな人が育たない印象があります。 - zumaicaの活動を一緒にやってみてどう思いますか
- 合流してわずか4日で、あれ?同じニオイがする人がいるなと思ったのが和馬でした。
この活動は助け合いの象徴だと思います。
- 侑人が目指すものにも通ずるものがありますか。
- 理念とピッタリ合います。世界平和が夢なので。
- じゃあ引退後はそういった活動をするのですか
- 海外挑戦をサポートする事業を今も行なっています。
将来は貧しい地域に学校を立てて、学ぶ機会を得て、将来の選択肢を増やせる活動をしたいと思っています。
特にアルバニアに建てたいですね。
ヨーロッパ最貧国でしたから。 - 海外挑戦を目指す、選手たちに一言
- びびるな!
挑戦した先に縁が待ってる! - では最後にJFL開幕へ向け、ファン・サポーターに一言
- 私の生き様をみてください。
よろしくお願いします。 - インタビュー長すぎるわ。